2016.06.30
平成18年から暖めて動き出した桜再生プロジェクトは、平成21年~平成23年の実践を終えてわずか3年で幕を閉じてしまいました。ストップしてしまった原因は大人側の都合にあったのですが、当初約束して動いたとおり、最低6年は続けて欲しかったと今でも思っています。
成果を想定した6年のうち半分しか実行できませんでしたが、それでも3年の間手を尽くした桜110本は他の桜に比べ成果が見えてきたと感じます。もっと具体的に言えば花芽一芽から3~4輪程しか咲かなかった花が、3年後は5~6輪花を付けて咲くようになりました。開花時期に咲いた花の量は手を付けなかった他の桜に比較するとかなりボリュームを増したと思えるのです。もちろん樹勢も回復してきたと思われました。
処置後の桜=花の数が多く、花のボリュームを感じる(平成24年5月14日撮影)
無処置の桜=花の数が少なく、花のボリュームを感じない(平成24年5月14日撮影)
いつも良くあり得ることだと思われますが、これでガッカリして終わってしまって良いものでしょうか?利害は別にして、その陰で理不尽さに泣くものが必ず居ます。今回の場合は桜再生活動に尽力した中学生の生徒たち200人だったと思います。生徒たちの不完全燃焼した苛立ちは激しかったのではないかと今でも思っております。
では、なぜ途中で活動が中断しなければならなかったのか説明しなければなりません。
もう今後はないと申し上げたいのですが、正直、チャンスがあればまた再開したいと思う気持ちがあります。
それはなぜかと申しますと、よく考えますと途中から全てを頓挫させてしまったのは、ほんの一部の大人の都合によるものだったからと思うからです。
結果、この桜再生プロジェクトの活動に踊らされたのは純粋な夢を持った中学生たちではなかったでしょうか?
私は中学生たちに、「110本の桜をすべて1人が管理するには無理があるが、その中の1~2本を管理し続けるのは可能ではないか?その1~2本の桜と友達になって、自分が大人になっても、小樽から離れても、小樽に来た時は気に掛けていた自分の桜の様子を真っ先に見に行ってください。」と、友達になった桜に名前を付けてもらいました。
中学生たちはそれを実行出来たことを喜びました。今後この続きを後輩たちに引き継ぐ時が来ても多分真剣だったと思います。だから、理由がわからないまま活動が頓挫して消滅してしまったことに疑問を持った生徒は多かったのではないかと思うのです。
違った形でも、引き続きこの桜再生活動を行いたいという有志たちが集まって、今度は大人の都合どおりにはさせないぞと考える人たちであれば、私はいつでもお役にたちたいと思うのです。
私は、もともとその土地にあった桜はその土地の人が守るべきと考えます。
今回、私は技術を乞われて「役に立つのであればコンサルティング致しましょう」とこのプロジェクトを引き受けましたが、私はこの土地の人ではなかったので、手宮公園の桜に掛ける地元の人が思うような詳細な気持ちまでは理解できていませんでした。
気持ちがわかるとすれば、後に私が手宮公園の桜に関わっていくうちに、土地の人の思いのようなものを自然に理解することができて、分かってくるのではないかと思います。
つまり、最初から桜再生活動を起こせるのは土地の人の桜に寄せる強い思いが必要だと考えます。
そのような訳で、できるなら再度若い力で桜再生プロジェクトが立ち上がることを願っております。
コンサルタント(樹木医)もまた、そういう思いが自分に伝わらなければ、技術だけで治療を引き受けることはないのです。